観光|オタイの浦(オタイネの浜)の白い十字架


筆島周辺の地名です。徳川秀吉の朝鮮侵攻の際、朝鮮貴族の娘だったオタア・ジュリアがキリシタン大名の小西行長の養女となりキリシタンになり、その後キリシタン禁止令にふれ、大島に流されたという伝説があります。島に流されたオタアは、棄教することなく信仰を守ったせいか、その後は新島や神津島に流されます。白い十字架は荒波に耐え続ける筆島の姿をオタアの信念の強さと重ね、キリシタンの有志によって立てられました。

オタイネという名称については、大島の方言で目上の女性を「〜ネエ」と名前の最後に付けることから、オタア+ネエが簡略化されオタイネになったとされる説が有力なようです。

アクセス:大島町波浮

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